2010年8月23日月曜日

夏 8月15日 セブ、昭和20年〜平成22年 

こんにちは、Pinoy Medical Studentです。
フィリピンでの生活もそこそこ長いのですが、慰霊祭に参加するのは今回がはじめてでした。

8月15日は、日本においては終戦記念日、韓国においては、光復節、カトリック教徒にとっては、被昇天のマリア様の祝日です。

日本大使館からのニュースレーターで、マニラ近郊で慰霊祭が行われると聞いておりましたが、セブでも慰霊祭が行われるとセブの領事館からご案内を頂きました。

当日は、9時半から慰霊祭がはじまると聞いていましたので、大学附属病院前に8時半に集合してタクシーで移動致しました。会場は、マルコポーロホテル・セブの駐車場にあるセブ観音とのことでした。

マルコポーロホテルの前は何度も通ったことがありましたが、ホテルの敷地内へ入るのは初めてでしたので、どんなところなのか興味津々でした。日曜日の朝早くということもあり、思ったよりも早く到着出来ました。

タクシーを降りると、すぐにセブ観音像が目に入りました。海に向かって立っておりました。

予定よりも早い到着でしたので、まださほど多くがいらしていませんでした。この日は、とても晴れ渡って、清々しい朝でした。ただ日差しはとても強く、直射日光の下だとチリチリ来ていました。

予定を少し過ぎてから、式典がはじまりました。フィリピンの国歌、そして日本の国歌が流れました。それから、日本領事館セブ連絡事務所 岡島利夫領事兼参事からお話があり、日本人会の会長、当時戦争当時セブにいらした元日本兵の方からのお話を伺いました。御年86歳とのことですが、とてもお元気でした。

その後、献花、焼香がありました。

前日に、日記を書きながらこの「セブ慰霊祭」について思ったことが、当時セブといった南洋に派遣された日本人はどんな気持ちだったかなあ、里が恋しかったんじゃないかなあ、と感じました。今でこそ、飛行機で成田行きの直行便に乗れば、日本までは4時間ちょっとで到着ですが、当時は船で、経由をしてセブに到着まで一週間近くかかったと元兵隊さんがおっしゃっていました。また今でこそ、エアコンもどこでもありますが、日本から来た兵隊さんにとって、南洋の暑さはキツかったと想像致します。当時は、マラリアやデング熱もいまよりも感染地域は広かったと思いますので、南洋特有の病気で苦しんだ方も多かったと思います。

戦争が終結してから65年。会社人生に例えたとしても、定年退職の年。

ずいぶん長い年月が過ぎましたが、世界を見回しても、まだまだ紛争地域が多く、多くの犠牲者が出ております。

ひとりひとりが出来ることには限りがありますが、ひとりひとりが希望を失わず、平和にむけた行動を続けていくことが必要なんだと感じました。

慰霊祭のあとに、参加者との懇談会がありましたが、元日本兵の方のお話が面白かったです。まさに、「へぇーーーーー」って感じの話でした。ここではかけません。。。笑





太平洋戦争勃発の報道
http://www.youtube.com/watch?v=r4xKhHfLB0s&feature=player_embedded

玉音放送
http://www.youtube.com/watch?v=FQsxwXWLpAI&feature=related